最初に思ってしまった。
「今回の実習生、正直きつい」
声が小さい。動きが遅い。気が利かない。
現場的に言えば、“使いにくい人”。
忙しい現場では、それがほぼ全てになる。
気づけば扱いも雑になっていた。
「とりあえず見学で」
「今はいいから」
「あとでまとめてやるね」
——やらないやつ。
“教える余裕がない”って言いながら、
本当は“教える価値を感じてなかった”。
でも、それって結構危ない思考だと思う。
“戦力になるかどうか”で人を振り分けて、
それ以外は後回し。
福祉っぽい言葉で言えば「エンパワメント」とか言うけど、
現場ではわりと平気で逆のことやってる。
力を引き出すどころか、
最初から「ない前提」で扱ってる。
転機は、あっけなかった。
不穏気味の利用者さんの対応中、
誰も拾えてなかった違和感を、その子が拾った。
「この方、ずっと同じところ触ってます」
言われて初めて気づいた。
いや、“見えてなかった”。
正直、ちょっとゾッとした。
自分は“慣れてる側”で、
“分かってる側”だと思ってたのに、
一番大事なところ、普通に見落としてた。
その子は、喋れないし動けない。
でも、その分ずっと見てた。
こっちが“流してたサイン”を、
ちゃんと拾ってた。
あとから聞いた言葉が、地味に刺さった。
「何もできないので、せめて見ようと思ってました」
これ、結構えぐい。
“できる側”のはずの自分は、
見てすらなかったから。
たぶん現場って、こういう構造になりやすい。
・声が大きい人が「できる人」
・動きが早い人が「優秀な人」
・要領いい人が「頼れる人」
で、それ以外は“育成対象”じゃなくて
“後回し枠”に入る。
でも実際の支援って逆で、
・小さい変化に気づく
・違和感を拾う
・言葉にならないサインを見る
こっちの方が、よっぽど本質だったりする。
実習最終日。
その利用者さんが、その子の手を握って離さなかった。
ああ、これが答えか、と思った。
正直に言うと、「よかったね」じゃなくて、
「自分、何してたんだろ」って感情の方が強かった。
“やばい実習生”なんて、いなかった。
いたのは、
忙しさを言い訳にして、
人を見るのをサボってた側の人間だった。
これ、たぶん実習生の話じゃない。
現場にいる側が、どこで手を抜いてるかの話だと思う。
あのときのことをきっかけに、
「見る力」を意識して変えるようになりました。
正直、すぐにできるようなことじゃないですが、
少しずつ現場の見え方は変わってきた気がします。
そのときに自分がやったことは、
別の記事にまとめています👇
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