「面会は控えてください。利用者様の調子が崩れるので」
福祉の現場で、こうした説明が当然のように行われている現状に、強い違和感を覚えます。
一見すると、利用者様を思いやった判断のように聞こえます。
しかしその実態は、「利用者のため」という言葉を盾にした過度な制限ではないでしょうか。
■ 面会制限は“本当に必要”なのか
まず問われるべきは、その制限に客観的な根拠があるのかという点です。
「調子が崩れる」という曖昧な理由だけで、
本人にとって重要な人間関係や生活の一部を制限することが許されるのでしょうか。
・どのような場面で
・どの程度の影響があり
・それが面会によるものだとどう検証されたのか
こうした説明がなされないままの制限は、
支援ではなく“管理”に近いものです。
■ 利用者の権利はどこにあるのか
面会は単なるイベントではありません。
利用者様にとっては、家族や大切な人とのつながりを維持する重要な機会です。
それを制限するということは、
本人の意思や権利に直接関わる重大な判断です。
にもかかわらず、
「調子が崩れるから」という一言で片付けられてしまう現状は、
あまりにも本人不在ではないでしょうか。
本人の意向確認はされているのか。
代替手段は検討されているのか。
制限の必要性は定期的に見直されているのか。
これらが欠けているのであれば、
それは権利擁護の視点が著しく不足していると言わざるを得ません。
■ 「支援の都合」が入り込んでいないか
さらに踏み込んで言えば、
この種の面会制限には、支援側の都合が含まれているケースも少なくありません。
面会によって利用者様の感情が動けば、
その後のフォローや対応に手間がかかる。
トラブルや不安定さを未然に避けたい。
現場の負担を増やしたくない。
——そうした事情が、「利用者のため」という言葉にすり替わっていないでしょうか。
もしそうであれば、それは支援ではなく、
単なる“現場都合の最適化”です。
■ 制限ではなく、支援で応えるべきではないか
仮に、面会によって一時的に状態が不安定になることが事実だとしても、
そこで選ぶべきは「排除」ではなく「支援」のはずです。
・面会方法や時間の工夫
・事前の説明や心構えの共有
・面会後の丁寧なフォロー
こうした支援を尽くした上での最終手段としての制限でなければ、
正当性は担保されません。
■ 「利用者のため」という言葉を免罪符にしない
「利用者のため」という言葉は、本来とても重いものです。
だからこそ、その言葉を使うときには厳密な検証が必要です。
それが十分に行われていないまま、
結果として利用者様の生活や権利が制限されているのであれば——
その支援は、本当に正しいと言えるのでしょうか。
私たちは今一度、
その判断が誰のためのものなのかを、問い直す必要があります。


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